カゼインが、グルテンが悪いのか、納豆ならなんでもよいのか

いわゆる発達障害が大人たちの不注意による中枢神経汚染であるケースが多いことがわかってきました。
ほんとうに、子どもたちは鏡です。

さて、私が気になるのは物質名でよい、わるい、を唱え、それになびく傾向です。数年前もテレビで納豆さわぎがあったではありませんか。

むしろ「いかに」を大事にしたいと思うのです。

たとえば乳製品の場合、日本では全頭除角といって、角を切り落とすことが奨励されます。しかし、牛の角はケラチンという絶縁体でできていて、牛の神経伝達を漏らさない、という働きがあるといいます。角のついている牝牛のミルクはタンパク質の分子の大きさが安定していて、牛乳アレルギーの方もおいしく飲める、という報告もあります。また、牛乳とチーズではまったく意味が違うのです。

グルテンについても、周辺をとりまく他のアミノ酸や精製方法によってクオリティは千差万別でしょう。

ヨーロッパでは東南アジアのアブラヤシを環境破壊として退ける運動が高まっています。
確かに現地では政府と大企業が結託して一時的な利潤を追求しています。
けれど、東南アジアに根差し、天地人の理に適った加工を目指す人もいるのです。
こういう志ある生産者を善意の消費者が幼い選択で圧迫することがないように、と望みます。

 

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