話題の原始反射、大切なのは、子どもいじりではなくて…

The-Well-Balanced-Child-smallサリーさんの「The Well Balanced Child 」 原始反射に一番くわしい第4章をたったいま訳し終えました。その最後の一節が、またいいんです。

「子どもたちの大多数はこれらの発達段階を容易に通り過ぎ、おのずと進化の遺産を存分に使い果たし、大切な礎石をしかるべきところに敷いて二本足で立てるようになります。素質と育ちが共働して原材料と環境をそなえることで、大切な運動のしるべ石に到達できるようになっているのです。何らか理由で子どもがこれらの段階をおのずとは通り過ぎていかないこともあるでしょう。そのときは、関係する諸プロセスを理解することです。親御さんや先生方が、すき間に橋がかかるようふさわしい環境をととのえるのに役立つことでしょう。」

まだご予約受け付ける段階ではありませんが、準備整い次第お知らせいたします。これは、いいです!

カテゴリー: INPP, 学習と身体発達 | コメントする

わたしの英語のふるさとは…

横浜山手?三鷹?…まあ、それもそうですね。
確かに戸塚ではないなあ。
イギリス?…ああ、それはある。
でも、真打は福島だと感じています。

前回、福島の浜通りに出前授業するのは、親のキャッシュ頼みの日本の教育にちょっとばかり異を唱えたくて…と書きました。でも、それは理由の半分に過ぎません。

震災があってもなくても、英語をたずさえて福島に向かっていた、と思う理由があります。これはもう仕組まれていたとしか思えない。

福島、相馬にゆかりの深い恩師たちは、ことばの本当のひびきを味わい、限りなく想像をめぐらせ、平和を創る心を育むことを教えてくれました。その背景には言語学や英語教授法をはるかに超えた教養がありました。何が流行ろうと、これがほんものだと思っています。というか、私はこのバトンしか持っていない。恩師たちからお預かりしたバトンを、ご同郷の若い方がたに渡したい、と思っています。

勇先生追悼01

勇先生追悼01_01英語は道具だ、とよく言うけれど、間違っていても通じればいい、度胸が大事だ、という考えには感心しません。ことばという道具は世界文化遺産。便所ブラシではなく、ストラディヴァリ。ひとりひとりは天才ヴァイオリニストなのに、どうしてわざわざ不自然に低いレベルをねらうのだろう。

 

 

カテゴリー: 教養としての英語, 福島, 英語学習 | コメントする

福島県浜通りに出前授業するわけは

先週末、仙台経由、高速バスで相馬入りという初めてのルートで相馬高校におじゃましました。今年度10回を数える相馬高校土曜講座の最終回を担当するためです。バスの窓からは海ばかりが遮られずに見えました。浪江請戸の松

年度初めにお誘いがあったときには、どれだけ応募があるだろうかと勝手に心配し、補欠のつもりで毎月伺えます!とお返事してびっくりされたものです。蓋を開けてみれば関西、首都圏からもベテランの、なぜか男性ばかりの先生方が競うように応募され、私の出番は1回で済むことになりました。

たった2時間でできること…と思いめぐらし、古新瞬監督が震災後の相馬野馬追を撮ったアマチュア動画を編纂した「相馬野馬追 2年の軌跡」に英語ナレーションを入れることを考えました。これにはすでに英語字幕をつけるボランティアをさせていただいています。この字幕を素材に英語の本物の音を体験し、アウトプットすることをねらいとしたのです。

英語といえば、学ぶ割には直接アウトプットする機会が少なく、シャドウワークになりがちです。アウトプットという試金石が少ないために、道具としての英語、などといいつつも、道具として通用しない(ホテルの安歯ブラシのような)ものが教えられることも少なくないと言わざるをえません。

さて、授業の内容は正式レポートを仕上げてから…といたします。

私が浜通りに出前する理由は、20世紀的豊かさの基準と、個人のキャッシュだのみの教育に対するささやかな抵抗です。

浜通りはたいした産業もなく貧しかったので潤うよう原発を置いた、という説明をたびたび耳にします。南相馬に住んでいた親戚の暮らしを思うと、確かに朝早くからの田畑での仕事は大変だったことでしょう。でも、採れた野菜を食べ、自宅で味噌、醤油をしこみ、自分の身体をしっかり使う手作りの暮らしが豊かでないといえるでしょうか。

ところが20世紀の日本では、親のキャッシュで学費を払い、親以上の学歴を手に入れ、なるべく大規模なところに就職し、高い賃金を安定して得続けるのが豊かさだったのではないでしょうか。

今でこそ、付加価値の高い作物や加工技術で前者と後者の間でしぶとくねばる工夫もしやすくなったことでしょう。でも、原発はひょいっと後者の在り方にポイント切り替えを促したように思うのです。

なので、ここでもう一度教育を通してねばってみようと思うのです。

ここで生まれ、形となるものは、どこへ持って行っても確かな価値を生み出す、という手ごたえを感じています。

カテゴリー: 教養としての英語, 福島, 自然・教育・平和, 英語学習 | コメントする

翻訳しながら感動してます

これをINPP翻訳1冊目にするには訳がありまして。The-Well-Balanced-Child-small
たくさんのお父さん、お母さん、幼稚園や小学校の先生たちを励ますものがよいと思ったのです。
(専門的なものは後に続きます)

福島に翻訳の友が与えられたのも嬉しいこと。

原始反射・運動発達研究のパイオニア、英国INPP(神経生理心理学研究所)。
所長のサリーはなかなか詩人で、アカデミックに律儀です。
人間の発達と学習を語る文章にサイエンスとアート(要するに教養)を感じます。

たとえば…

”自然は音楽を通してみずからを表します。
木々の葉をわたる風のささやきから、荒れ狂う海岸の雷鳴まで…。
すべての生きとしいけるものは「動き」を共有するように、
また音(ひびき)をも共有しているのです。
『なぜなら、音は動きが創りだすものだから』(J. Leeds) ”

いいでしょう?

INPP本部はこちらをクリック The Well Balanced Child
( by Sally Goddard Blythe @ INPP UK )

カテゴリー: INPP, 学習と身体発達, 通訳・翻訳 | コメントする

それって、シュタイナー教育…? 成分表示は大丈夫?

シリコンバレーで活躍するひとたちの多くが、index1
わが子に選ぶというシュタイナー教育。
びっくりするほど超アナログで、
あわてず、せかさず、沢山の美しいものに
感覚で出会うチャンスも豊かです。

それぞれの子どもが
「いま準備ができていること」を大切にするから、
いわゆる普通教育と特別支援教育の根本が
通じているのも興味深いことです。

このごろ、シュタイナー教育にかかわる
大人の方とお話ししていて気になることがあります。

「シュタイナー教育のセミナーできいた」と
おっしゃることに、別の手法が混じっているのです。
そりゃいろいろな手法を知るのはかまいません。
わが子によいものを、と思えばごもっとも。
世にはシュタイナー教育に共鳴する、
あるいは似ている教育方法もあるでしょう。

でも、ときには
「計算が速くなる」
「クラスのみんなについていける」
「漢字がどんどん覚えられる」
といかにも20世紀的な、多く、速く、強く、等しく、を
うたい文句とする手法も混じっているようです。

また、困っていないように見える子どもにも
無理やり問題点を探りだすことをすすめている
場合もあります。

シュタイナー教育に純粋であることを
求めているのではありません。

ただ、本質的にシュタイナー教育となじまないことを
混乱を招くような見せ方をするのには疑問を感じるのです。

こどもの個性というメッセージを受けとめ
大人が自分の見方を自由に疑い、変えることこそが
大切だと私は考えます。
焦ってはいけません。
子どもを、自分を待つ時間も必要です。
周りのせいにして急ぐということは
一体だれを大事にしているのか。

セラピーありきではありません。

どんなセラピーより人体、それを創りだす
しくみのほうがよほど素晴らしい。
哲学のあるメソッドならばわかりきったことです。

カテゴリー: 学習と身体発達, 自然・教育・平和, 通訳・翻訳 | コメントする

授業中に携帯?(1月30日)

もちろんいけませんよねえ、鳴らしたら没収ですよねえ…

J学園女子部

J学園女子部

もう時効だと思うので…
これは本当にあったこと…
というか私がやらかしたことです。

もう7年も前のゴールデンウィークのころ。
そのころ、休みになるたびに、
日本中のどこかの団体がオーストラリアから
バーバラさんという先生を招いていました。
バーバラさんは学習困難や発達障がいと
呼ばれる子どもたちの宝を見つけ出す
超一流の先生。
肝っ玉母さんのように頼もしく、
また愛らしいお人柄が慕われていました。

私はバーバラさんの通訳をつとめていましたから、
夏休み、冬休みも忙しい!
横浜、北海道、静岡、長野、大阪とお伴したものです。

で、このバーバラさん、
私にはとてもまねも理解もできない方向音痴。

ゴールデンウィークは日程もきつく、バーバラさんは私が学校に勤めている日に来日せざるを得なくなりました。前日から「私はどうやって成田から出ればいい?」とメールが何度も。悪いけど、今回は迎えには行けないから、このとおりに電車を乗り継いで新横浜まで来てください」といっても渋る様子がメールからにおい立つよう。「途中で電話するから指示して」と折れないのです。

案の定、着陸から30分たっても携帯は鳴りません。もう授業が始まります。私は携帯をサイレントにして教室に入りました。

この学校での授業はワークショップ中心だったので、ワイワイタイムもたっぷり。気にかかることがあると却って辛いものです。思い切って言いました。

「実は、いまちょっと困ってる。オーストラリアから大事な先生が成田に着いたはずで、この先生、その先の交通手段がわからないから電話したいと言っていたのに、まだ来ないの。授業が始まる前にかかってくると思ってたんだけど。でも、授業中に鳴らすわけにいかないし…」

といいかけたところで

「先生、何冷たいこと言ってるんですか。外国の人が、道もわからないで、電話も通じなかったらかわいそう!そういうのは特別です。そのひとのだけは出てください。あたりまえじゃないですか。」
「そうだそうだー!」

と叱られてしまいました。言われてみればまったく当たり前のこと。おっしゃるとおりです。

しばらくするとバーバラさんからの呼び出し音。
「あ~きたきた!!」
バーバラさんと私の会話に中1女子30人がとてつもない注意集中ぶり。

「ユキコ、いま何しているところ?」とバーバラ
「あー、授業中」
「*+#$?!」

「みんなも話す?」
「話す!話す!」

携帯を教室に向けると、
Hello! Welcome back to Japanから
Are you OK? Where are you? How are you?
なぜかI’m —まで次々とありったけの英語がでてきました。

ひとしきり聞いたバーバラはこんなふうに答えたように思います。
Hello girls, thank you. I’m well. Sorry for interrupting.
I think  I’m OK now. I’m going to visit you at school next week.
(ほんとうに来てくれました!) See you then. Bye.

電話を切ってワーイ!よかった!と一安心。

放課後、新横浜に向かう車中で携帯がもう一度鳴りました。駅のメイン入口の反対がわの静かな住宅地の八百屋さんからでした。「バーバラさんという迷子の外人さんがうちの店にいるんだけど」

え”ー!

ああ、時効はこちらのわけわからない迷子のほうでしょうか。

 

カテゴリー: 未分類 | コメントする

通訳養成、いまのままでいいか…(1月13日)

通訳は特殊技能。
2つ言語が「なんとかしゃべれれば」できるなんてとんでもないことです。
そんなの車で言えば3歳児の無免許運転。

でも、一見奇人変人にしかできないような技能も
深く、細かいステップを設ければ手に届くものになるはず。

手が届かなかったとしても、ステップそのものが豊かな体験になるのでは。

私も老舗の通訳養成機関にお世話になりました。
でも、情報を情報に置き換えることが珍重された時代は過去のもの。
それなら、もう機械ができてしまう。

でも、心をつたえるメッセージは機械では台無し。
人間が機械のマネをしていてはいけません。

そこで、芸術活動や発声という
当然と言えば当然な、新しい次元を加えて
通訳を養成したい、と願っています。

大学では合宿でもしないとその時間がとれないのですが…

年度末の教材はこれ。

ジョブズさんのスピーチは思いがけず素朴でストレート。
禅の空気を感じます。

http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

カテゴリー: 未分類 | コメントする

子どもに国際感覚と英語は必要か(12月29日)

大人になったら国際的に活躍するようにと小さいうちから子どもに英語を教える動きが盛んです。
でも幼児に「国際感覚」は必要でしょうか。
そもそも幼児に国家感覚はあるのでしょうか。

 

わざわざ壊すなバベルの塔

た とえばセネガル、インド、中国、ロシア、スウェーデン、日本、メキシコ、イギリス、ハワイの幼稚園児を公園でしばらく一緒にすごさせたら…どうなるでしょう?

 

きっ と子どもたちはコトバの違い、肌の色の違い、国の経済状態の違いなどおかまいなしに、お互いの目と目の奥で通じ合い、一緒に遊ぶことでしょう。「貸して」 「No. This is mine.」「対不起」など母語を繰り出して、大人から見れば通じていないのに通じているような奇妙な会話をしながら、ケンカしたり仲直りしたり、泣いて いる子を気づかったりすることでしょう。

 

そう、子どもは表情やしぐさ、声色といった非言語情報を豊かにやりとりするのです。

 

ときどき子 どもに本心を見抜かれてドキッとするのはこのためでしょう。

 

国や言語の仕切りのない世界に住む子ども達に、あえて国際感覚や英語を教えるのは、大洋を生き 生きと泳ぐ魚に領海という概念を教えるようなものではないでしょうか。

確かに英語のレッスンを喜ぶ子どももいます。それはそのとき楽しけ れば十分。

中高生になってから「あのときあんなによくできたのに」などというものではありません。中学、高校以降の英語は思 考を理解・表現するためのものであるはずです。一旦インストールし直しが必要です。

まずママが堂々と安心していいんです

お母さんがお子さんに英語習得を望むのはごもっとも。
でも周りより早く、私より早く、と願うのはご自身の不安に促されてではありませんか。子どもは親の不安と期待を敏感に感じ取るもの。親を喜ばすために一生懸命学んだりもします。

ならばまず不安を抱いているご自分の心の声に耳をすませてはいかがでしょう。そしてお子さんが「ママかっこいい…」と憧れる英語を身につけてみてはいかがでしょう。

大 丈夫、沢山でなくてよいのです。会話の練習も文法のドリルもいりません。きっと日本語で「読み聞かせ」を楽しんでいらっしゃるかたは多いはず。ちょっと ジャンプしてそれを英語で「語り聞かせ」にしてみるのです。私はジャンプのお手伝いをいたします。近日ご案内、どうぞお楽しみに。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

クリスマスは何日続く…?(12月25日)

天皇誕生日に続いthreekingsてクリスマスイブ、クリスマス、と何やらおめでたい日本です。

…が、

まもなくケーキは大安売り、ツリーも片づけて、大掃除が済んだら門松をだして鏡餅をお供えし…忙しいですねえ。

こんなに忙しいのは日本だけですよ!

日本のクリスマスは何日続くのでしょう。
イブと当日の2日?
あらあら、それでは忙しいのも無理はありません。

本来は、クリスマスだけでも12日続きます。

12月25日の当日から、東方の3博士がイエスにまみえたとされる1月6日(教派によって前後)までがクリスマス節、降誕節です。ですから、ツリーを片づけて門松にすげかえることもないのです。日本式でしたら、はじめから門松でいかがでしょう?

このクリスマス節の前にも待降節、アドヴェントと呼ばれる4週間にわたる「静かに待ち望む」ときが設けられています。

そう、教会暦はとても呼吸が深くて長いのです。

とはいえ、イエスが12月25日に生まれたわけではありません。

この日がクリスマスなのは、北欧の「太陽の復活」、つまり冬至を祝うお祭りにかさねたため、と言われます。自然界のめぐり、冬から春に向かうはじまりと、人間の魂の救いのはじまりを重ねたのは、なかなか粋な計らいではありませんか。

プレゼントを買って、おいしいものを食べてうかれたくなるのもわからなくはありません。

中高生の頃は私も「日本のクリスマスは堕落している!」などとピューリタンらしく目をさんかくにしたものですが、このごろは「まあ、よきにはからえ。少しはひとのことを思えよ」といいかげんになってきました。

さて、三人の博士の贈りものと、冬至から春にいたるまで、の2つの深いメッセージを次稿にて。

クリスマスおめでとうございます。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

その学習支援(治癒教育)が20世紀の亡霊になるとき(12月17日)

englishmaterial1発達障がい、学習困難と言う言葉が知られるようになりました。

国内外からさまざまな支援方法も登場しています。

私はシュタイナー治癒教育を中心に、
さまざまなメソッドのの通訳をつとめました。
学び手を見る目が開かれる思いをしたこともたびたびです。
たとえば…

…いわゆる「困らせる子」こそ困っていて怠けてなんかいない、
そういう子どもこそ先生の魂が呼び寄せた
「先生を育てるための先生」…

…「困らせる子」こそひとの感覚と運動の育ちの本来の秩序を
ゆっくり見せて教えてくれる…

…「健常児」「できる子」こそ無理していることも。
本物の学習支援は無理しているいい子にこそ
安らぎを与える…

ひとの育ちのしくみの神秘を学べば学ぶほど、
実はこどもをいじって直すなどは不遜なことで、
大人こそ理にかなっていない教え方をあらためてなくては
、と思います。
この信条に適うのがイギリスのINPP(神経生理心理学研究所)の
原始反射・姿勢反射・運動感覚発達の講座でした。

さまざまなメソッドの通訳をしていて気付いたのです。
講座テキストの参考文献リストには必ずこの研究所の名前が!
文献ににじみでる謙虚さ、学問的公正さに私は感銘をうけ、
みずから参加して学ぶに足る講座はこれ、と思い渡英しました。

INPPの現所長、サリーさんははっきり書いています。
「原始反射統合のエクササイズを個別に指導することもできる。
でもいわゆる気になる子の8割は、
感覚を活かし、たっぷり体を動かすよう
学校の授業を工夫することで十分成長できる。」

だから、私も先生たちに運動と感覚のしくみの素晴らしさ、
つまり人間は楽器であること、その調律方法をお伝えしているのです。

子どもの発達・学習メソッドにもいろいろあるようですが、
私がしないことははっきりしています。

①「アメリカの最新の脳科学によると~」をエビデンス代わりにしない。
このフレーズはなぜかスピ系でよく見かけます。
日本人の体質、生活を考慮に入れていないことが多いようです。

②「強く、早く、沢山、正確に」、という20世紀型生産性の再来をゴールにちらつかせない。
「~~すると鉛筆が楽に持てるようになる、
字が速く書けるようになる、計算を間違わなくなる」
というと結構なようだけれど、
「強く、早く、沢山、正確に」、という
20世紀型生産性の再来ではありませんか。
そんな時代が終わったことはもうはっきりしているのでは?
私はゴールを設定するという発想自体にも、
「武道の修行」の観点から限界を感じます。
まあそれはまた別稿で。

お子さんたちが困っていれば何とかしたいと
思われるのは無理もありません。
不安を抱えるお母さんたちは藁をもすがる思いです。

でも、お子さんを制度に合わせる努力の100倍、
制度がお子さんに合わせるよう努力を求めてよいと思いませんか。
実は、そのほうがお母さまも先生も肩の荷が下りるはず。
理に適うようになるのですから。

カテゴリー: 未分類 | コメントする