通訳者ですが、英語で自己表現にあまり興味ないんです。

「グローバルな場面で英語で自己表現」birds
おお、威勢がいいねえ!

確かに、私もまさにそれが仕事になっているけれど
そうしたい、と望んだことは一度もなかったし、
目標にしたこともありません。

そもそも、私が外国語に引き寄せられるときは、
私のことを分かってほしいから、ではない気がします。

外国語の美しい響きに魅入られるとき。
新しいパターンに惹かれる時。
あなたのことをあなたの言葉でわかってみたい。
あなたのことばで話したいと願うとき。
(道楽と言えば道楽。)

ああステキ、と思うから、先生が宿題で出す量を
超えるインプットしていたかもしれません。
自分で考えこねくりまわして英作文したことも
あまりないように思います。(今も避けている?)

中学の英語の教科書で、タイ人と日本人の少年少女が
英語でメール、なんていう題材を見かけると
たまらなく違和感を覚えます。

イギリスでイラン出身のふたりの友人と英語で話していたときのこと
ふたりが一瞬アラビア語で話すと、呼吸も、眼光も、立ち姿も、
声の響きも…別人のように輝いたのです。
あの瞬間はいつまでも覚えています。

英語コモディティ人間量産に多くのエネルギーが
注がれているように思われてなりません。

さて、挿絵はアッシジのフランシスコの「小鳥への説教」を
お借りしました。なしてだべ。

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