「日本にも海外からのお客さんが増えてきたし、夏には短期留学するし。
そうだ、日本人なんだから日本らしいこと身につけなくちゃ。お茶?お花?」
「日本にも海外からのお客さんが増えてきたし、夏には短期留学するし。
そうだ、日本人なんだから日本らしいこと身につけなくちゃ。お茶?お花?」
五線譜には書ききれない、身体から響く祈りの声。
だって、徹底的に聴いているから。
日々の小さな積み重ねがものを言う。
クライアントのために手に入れたい情報。
英語でなければ読めない。でも読みたい!
そうだ、あのひと英語ができるはずだった。
海外に長く住んでいて日常会話も問題ナシ。
よし、翻訳を頼んでみよう。
そんなふうに友人に翻訳を頼もうとしていませんか。
ちょっと待って。
頼む前に翻訳トレーニングの経験を確認してください。
さもないとあなたは友人の人生を無駄にしかねません。
「英語が話せる=自分のために耳・口で英語を使える」のと
「英日翻訳ができる=文字から絵を起こし別の文字にする」のは全く別のこと。
日常会話のレベルはなんの参考にもなりません。
私たちも日本語が話せるからといってライターになれるわけではないでしょう?
きちんと理にかなった訓練を経た人たちのごく一部がプロのライターになるのです。
ライターになれない人のほうがよほど多いのです。
「だってプロは高いから。」
「友人はアマチュアで時間もあるし、ご主人の収入があるから格安でやってくれるし。」
あなたは本当にその人の友人ですか?
同じ課題でもプロ養成を経ていない人はプロの5~6倍時間がかかるのです。
学生時代、私も英検1級を持っているというので翻訳を頼まれ、
無邪気に引き受けました。
ちゃんと出版されてお金も頂いたけれどひどく時間がかかった。
20歳でも「この時間の使い方はおかしい」と思った。
それを30、40代の友人にさせる気にはなりません。
プロが短時間で使うのは使っても消えないスキル。
スキルのないアマは二度と戻らない時間を費やす。
しかもあなたはお茶代くらいしか払わない。
あなたが知りたい情報が本当に社会に役立つものなら、
それで友人から時間とお金を搾取したいとは思わないはずです。
あなたは本当にその人の友人ですか?
Language barriers in Japan are so funny and obvious.
They do exist in Europe as well but in a very very subtle way.
I am afraid they may make it difficult for bothers and sisters in spirit to find each other.
What if more anthroposophists read French,
more French people read anthroposohpy in German,
more English speaking people read outside their language?
Surely anthroposophists, Tomatis community and INPP will find each other
with more ease and make a breakthrough.
日本にある言葉の壁なんてあからさまだからお笑い草。
ヨーロッパの言葉の壁のほうがよほど厄介。志通じる人たちの出会いがはばまれていると思う。(おせっかいな日本人だなあ)
もしシュタイナー関係者にフランス語できる人がもっといて、
フランスのトマティス関係者がもっとドイツ語できて、
英米人が英語以外何かできたら事態は違ってくるんじゃないかな。
日本の季節行事に仲間入りしつつある復活祭、イースター。クリスマスやハロウィンと違って日にちが固定していません。春分(=彼岸の中日)後、最初の満月のあとの日曜日というややこしさです。それだけ自然のリズムに関係が深いのですね。今年は3月23日が満月なので、イースターも早めの27日でした。
さて、復活祭なのになぜ「復活」を意味する「リザレクション」祭り、「リバイバル」祭りでなくイースターと言うのでしょう。
よく律儀なクリスチャンの方は「日本は八百万の神や仏をごっちゃにしてけしからん」とおっしゃいますが、その言葉はそのまんま昔のキリスト教会にお返しいたします。そんな堅いことばかり言っていたらこれほど広く受け入れられているわけがありません。
イースターは昔むかしのゲルマン神話の女神、Eostre(つづりは色々)の祭りでした。最近では日本のゲームにも登場して「エオステル」という名前で出稼ぎしているようです。
エオステルは豊穣の女神であり、新しい命に満ちる春、多産のウサギ、無垢な卵はいかにも彼女にふさわしかったのです。ですから卵とウサギはイエス様の復活には何の関係もありません。日本なら別に団子とイノシシだっていいんです。
彼女の祝日は3月21日。お彼岸のお中日で、満月だの日曜だの言っているイエス様なんか待ってません。 ちなみに「エオステル」は「輝き」「東」を意味するそう。地上に生命力を吹き込むのは太陽の光、それも西ではなく東から差し込む光です。
ちなみにイースター島はオランダの方が復活日に見つけたというのでイースター島となりました。「オースト」リアはドイツから見て東なので「東の国」。「オーストラ」リアは「南の国」。ローマ神話の南風の神、Austerアウステルに由来します。アメリカのヤフー質問サイトでは「オーストリアとオーストラリアの違いは?」という質問があります。「オーストリアは中央ヨーロッパに位置し、他方…」と真面目な回答がいくつもあってちょっと笑えますが、語源ストーリーとして説明したものは見当たりません。
「外国語を身につけるには現地に暮らすべし」という人もいますが、それは目指すレベルによるのでは、と考える次第です。
経営を心をみがく道とするトータルゲーム。開発者の嶋崎喜一さんには言葉に尽くせないほど多くのことを教えていただきました。お金アレルギーのような初歩的な問題から、通訳者としての値決め、シュタイナー教育関係団体の健全経営ヒントなどなど。
今朝もフェイスブックで「虚数の情緒」(吉田武著 東海大出版会)という分厚い本をもとに、ワクワクするやりとりをさせていただきました。
【英語教育の「なんだかなあ~」を「場の量子論」 で透視すると!!~「虚数の情緒」より】
「経営を心を磨く道とする≪トータルゲーム≫」開発者の嶋崎さんよりシェア。嶋崎さんとは、ここのところ「虚数の情緒」という本をめぐってアンサンブルを楽しんでいます。
今朝のテーマは「場の量子論」。嶋崎さんのところに書いたコメントを加筆、再掲します。
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嶋崎さん:
場が生成・消滅させる、変幻自在なゲージ粒子(ボソン)、物質を形成する物質粒子(フェルミォン)、その間を仲立ちするヒッグス粒子(南部※・ゴールドストーン粒子)。どうやらこれら幾つもの素粒子達が、我々の複素的世界を形成しているようです。
※南部 陽一郎(なんぶ よういちろう 1921~ 2015年)、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。日本の福井県福井市出身。アメリカ国籍の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学 1952年)。
虚数に惹かれて不思議の源を辿ると、「場の量子論」に行きつきました。これについて著者吉田武氏は、深い想いを次のような言葉に託しています。
・・・・・・・「虚数の情緒」より抜粋・・・・・・・
中国,戦国時代の思想家である荀子は
『青はこれを藍よりとりて,藍より青し』
と言った。これは,藍からとった青色が,もとの藍よりも青いことから,弟子がその師よりも優れている事のたとえとしてしばしば用いられる。これを短く「出藍(しゅつらん)の誉れ」と言う。
現在我々が有している最良の物理理論である「場の量子論」は,量子力学を基に生れたにも拘わらず,量子力学自身のみならず,古典力学までも含む広大な枠組にまで成長し,更に加えて無限個の粒子の生成・消滅をも記述し得るのである。これぞ物理理論の「出藍の誉れ」ではなかろうか。
場の量子論の発展は,主に半導体などの固体物質の性質の解明を念頭に置いたものであった。然し,一旦その枠組が出来てしまえば,それに拘泥する必要は全くない。
現在の人類が所有する最良の理論が「場の量子論」なのであるから,それを考え得るあらゆる対象に当てはてみるのは当然の事である。
この様な考え方こそが,物理学の持つ最大の強みであり,個別の対象から離れて一般的な原理を探ってきた利点なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この言葉に力を得て、「場の量子論」を「情報処理」に当てはめてみることを試みます。これより後は仮説ですが、私なりに検証したものを「場の量子論」の力を借りて説明していきます。
冠木:
まったく同感です。私は「場の量子論」を語学にあてはめてみます。文系でなぶられて不要な悪者にされた「文法」と「音声」をつなぐ平面を見つけます。この二つは遠いものと思われていますが、観点を変えると隣り合っている、あるいは重なっているものです。
文法と音声を切り離したがる群れには2つあります。ひとつは学習プロセス理解不足のネイティブスピーカーです。身体的に無意識に体得した音声で言語をあやつる彼らはそこに内在する文法にも無意識です。もう一群は古い頭の日本人教員。文字言語として外国語にふれ、漢文的に読んで日本語に置き換えて「意味がわかった」とすることがしばしばです。文法を日本語への置き換えの暗号と勘違いし(これは翻訳でもない)、文法がもとの言語の音声を支えていることを実感できません。
神経学的にまったく異なるプロセスを「外国語学習」と同じレベルで呼ぶ彼らは話が通じません。
これでは若い学び手が気の毒です。頭のスイッチが入っているとつらい。
いまテレビ国会中継で遠藤大臣が「2020年の東京オリンピックに向けてグローバル人材を育成するために小学校から英語を」ですって。
以下、ちょっと私が言いたい放題なやりとりはこちらをクリックしてご覧ください。
土日、月と3日連続でプロの英語講師のみなさんに講座を開いていました。
お伝えしたのは、言語学習の生理的、神経科学的ベース。先生方をセオリーで応援するのは、将来通訳養成まで進む教え子さんが一人でも増えてほしいから。プロを射程に入れるからには、その過程の教育も理にかなったものであってほしい!
「初めて聞くことばかり!」
「もっと聞いていたい!」(落語みたいだったとも…)
とのお声を頂いています。
日本では外国語学習という全人的(身体・心理・認知)体験が、文系的領域の導き手に任される事が多いようです。センスがよい方ほど多くの問いを抱えがち。その問いは文系領域では解決しません。
なのに1億アマチュアが総評論家、百家争鳴、一家言あり。グローバル人材、脳科学、臨界期という日本でしか通じないゾンビ語もあり。
そこでフランスのトマティスから子音の優先周波数帯(英語=高周波ではない!)、イギリスのアローからセルフモニターなどご紹介しつつ、その先のお話も。
最終日の今日は某英語教室の先生たち非公式有志の集まり。
これがすごい。
一騎当千。
「小さいころから英語」
「英語できるようになってグローバル人材」
にちゃんと「それって変でしょ」な直感が働いている。おおいに共感します。
どうも児童英語の先生はタイプが分かれます。
①自分の自己実現リベンジ、日本英語教育村肯定タイプ。
②地元のママの不安を受け止めながら、本質は英語じゃないでしょ、と思っているタイプ。
これは興味深い!
私には「日本人がみんな英語できるようになって、世界の10億人と楽しく話す」状況など思い浮かびません。そんなぼやっとした人参ぶら下げられて走る馬はいるのかね。だいたいなんとのんきで丸腰な。
外国語を知る者にはセンチネル=歩哨のセンスこそ必要。そしてプロ志向でまいりましょう。プロを目指してこそ結果的に個も伸びるのです。
答) 「は」の130以上。でも130どころじゃござりやせん。
お待たせしました。あらやだもう2か月近くたってしまって。皆さん、「経世済民の男たち」は楽しまれましたか?吉田鋼太郎さんの松永安左エ門、見ごたえがありました。さすがシェイクスピアに通じた舞台人です。松永がときどきリア王に見えたり、マクベスに見えたり…さて、ここからはドラマに勢いづいた歴史の学びです。
電力事業の始まりは電灯事業。家庭に発電機を貸し、電灯をともし、昼間のように明るい時間を少しでものばすことでした。町の豆腐屋さん、牛乳屋さんのような…提灯屋に毛が生えたようなものだったのです。まだまだ製造、輸送には石炭が用いられ、頼りない電力はまだ主要なエネルギーとは考えられていませんでした。松永も明治37年の結婚のころは石炭業で大儲けしています。
ところが、電力を「市民の足」と再定義したことで新しい世界が開けます。明治42年、松永は今の西鉄の前進、福博電軌を設立、専務取締役となります。このころから電力は各地で電灯屋から運輸業、製造業に大きく乗り出していきます。
なんと、明治42年、全国の電力関連事業(発電のみではない)は945を数えた、と幻の「東京電力30年史 25ページにはあります。これは当時の人口を考えれば今のコンビニ並みですね!なんでもコンビニ再編でファミマのおとなりがファミマ、なんていう事態もありえるそうで。
当時の電力事業も同様、各地でし烈な生き残り競争が繰り広げられました。アパートの1階はA社で2階はB社、朝起きると田んぼの真ん中にC社の新しい電柱がにょっきり、なんていうこともありました。
こんな調子ですからいくら強い会社でも値を釣り上げて大儲け、というわけにはいきません。逆にダンピングで無理を重ねます。当然、停電も頻発します。そこで「本当に国民のためにやっているのか」と正義を盾に批判し始めたのが国でした。そのとき味方につけた相手は…次回のお楽しみ。
お世話になっているある方から、とても大切な本「東京電力三十年史」をお借りしています。東電第四代社長の木川田一隆さんは「社史を作ってはならない」とおっしゃったそうですが、没後、平岩外四社長の時代に編まれたものです。出だしに印象的な一節がありましたので、ご紹介します。電力事業が富国産業、殖産興業の時代でも民間人によって築かれたことをはっきり語っています。(むろん、福島原発事故のことは知る由もありません)
『我が国の電気事業は、先覚的な実業人による東京電燈、大阪財界を上げての事業体であった大阪電灯、京都市民の出資により発足した京都伝統、旧尾張藩士族等の経営に依る名古屋電灯など、それぞれ特徴をもっているが、いずれも民間人の手による純然たる私企業として発足した。ここに、ほかの産業とは異なった大きな特徴をみることができる。
明治初期において、政府は外圧にこうして近代的な産業の振興を図るため、「富国強兵」と「殖産興業」を目標として掲げ、関連する政策を強力に推進していった。幕府や諸藩がもっていた工場や鉱山を没収して自ら経営に乗り出したほか、新たに各種の官営工場を起こした。その後、明治十年代の半ばからは産業政策を転換し、その一環として官営工場、鉱山をきわめて有利な条件で民間へ払い下げた。こうして、明治の産業は官営をもって出発して、民間に払い下げられる形をとるか、政府補助金などの手厚い保護育成をうける形をとって、その事業基盤を確立した。
このような状況下にあって、電気事業は、政府の力をまったく借りず、大きなリスクを冒して創設された。そして、その後も、自ら新技術を積極的に導入して電力原価の低減に力を注ぎ、それによって電気料金の引き下げ、需要の拡大を図り、その結果として利益の増大がもたらされうという過程をたどり、飛躍的発展への道を歩んでいった。』
(東京電力三十年史 p19)
今晩のNHK【経世済民の男】シリーズは松永安左エ門が主人公。戦争直前後が中心のよう。これは楽しみです。
私は震災直後から「国がエネルギー安定供給を!」「東電国有化!」とエコっぽい民衆が声を合わせる様子に違和感を直観しました。みんなで同じ文句を声をあわせてとなえていると…どこか罠にはまるのです。
そこで日本電力史を学ぼうと思い立ったのですが、そこに現れたのは想像を超える大きな力の攻防でした。原発は発電所ではない。民間企業が負うべきではない安全保障上の軍備ツールのひとつである、と考えています。
私なりの日本の電力史の見方をご披露するまえに、ちょいとクイズです。検索などせずに、素頭、地頭でお答えください。のちほど答えと解説をお知らせします。
神様でも仏様でもよいのですが、これってなんだかイヤなやつだなあ、と思います。人間に試練を課して自分は観客席から見ているみたいで。そんな神様&仏様あてにする気にゃなりません。
多くの方が私に指さしてくれた存在はちょっと違う。順風のときも逆風のときも共にいる。
人間さんの方も辛い、とか耐えられるか、耐えられないかなんて考えてる時点で余力がある、まだヒマ。考えてるヒマがあったら動き続けるべし、淡々と取り組み続けるべし。その結果カミサマと一緒に行き倒れになっても一興。元気でいても、倒れていてもカミと共にあれば至福という境地を目指したいもんです。
ん…!ウチによく来るのはデュオニソス?
Footprints by Mary Fishback Powers
One night I dreamed a dream.
As I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
One belonging to me and one to my Lord.
After the last scene of my life flashed before me,
I looked back at the footprints in the sand.
I noticed that at many times along the path of my life,
especially at the very lowest and saddest times,
there was only one set of footprints.
This really troubled me, so I asked the Lord about it.
“Lord, you said once I decided to follow you,
You’d walk with me all the way.
But I noticed that during the saddest and most troublesome times of my life,
there was only one set of footprints.
I don’t understand why, when I needed You the most,
You would leave me.”
He whispered,
“My precious child, I love you and will never leave you.
Never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints,
It was then that I carried you.”