![ICUらしいなあ。](http://ykblog.linguamusica.jp/wp-content/uploads/2016/06/01-150x150.jpg)
ICUらしいなあ。
五線譜には書ききれない、身体から響く祈りの声。
「聖なる聲」はICU宗教音楽センターの
お二人の先生の発案によるイベント。
ICU教会にグレゴリオ聖歌、クルアーン朗唱、
ヒンディーの神々への讃歌、
そして真言宗の声明が響き合いました。
その響き、声の技法は
五線譜の世界を超えています。
五線譜に不満があるのではありません。
五線譜は視覚化した実数の世界。
五線譜の背後にある音そのもの、
虚数の世界、祈りの領域を忘れてはなりません。
これを忘れると宗教は戦いを生む。
通訳なら下手になる。
通訳が文字に残せる部分を正確に訳すのは当たり前。
上手な通訳は文字に残せない部分が豊か。
![写本の世界の豊かさにびっくり。](http://ykblog.linguamusica.jp/wp-content/uploads/2016/06/04-150x150.jpg)
写本の世界の豊かさにびっくり。
だって、徹底的に聴いているから。
言葉だけを聴いているのではないから。
文字にならない部分まで聴いているから。
これは通訳学校でいきなり身につくことではありません。
通訳学校で花開くのはそれまでの積み重ね。
それは日々少しずつ身体にしみこませること。
たとえば、朝に野鳥の鳴き声に耳をすませる。
仏壇にお経を唱えるお年寄りの声に耳をすませる。
讃美歌で一日を始める。
讃美歌で一日を始める。
そして相当量の聖書、文学作品、楽曲を暗記、暗唱する。
(暗記っていうのは勝手に体から出てくる状態。
ええと、ええとって唸って思い出すのは暗記じゃなくて明記)
こうした土台なしに通訳学校に行っても、
月謝を払い続ける立場にとどまります。
月謝を払い続ける立場にとどまります。
![各宗教祈りの歌の名手たち。お互いの声に気持ちよさそうに聞き入っていました。](http://ykblog.linguamusica.jp/wp-content/uploads/2016/06/03-150x150.jpg)
各宗教祈りの歌の名手たち。お互いの声に気持ちよさそうに聞き入っていました。
nsおお聴く、祈る、想う、歌う、通訳するのは同じこと。
日々の小さな積み重ねがものを言う。
今日マイクを握ったイギリス、アメリカ、
ウイグルご出身の方々が共通語として
美しい日本語を話されたことも新鮮でした。
ウイグルご出身の方々が共通語として
美しい日本語を話されたことも新鮮でした。
「人はなぜ声を出して祈り、歌うのだろう。
きっと祈り、歌う声が含む響きをたよりに
自分を超えた次元を想わずにいられないのではないか。」
―ヒンディー音楽奏者でもあるベック教授の言葉